青木久男公式サイト

05/06/28(火)
 
 第24回伊奈町美術家協会会員展が県民活動
戸井田先生と
センターで開催。 初日の26日は、役員改選があり35年間会長を務めた戸井田先生(書道)が顧問に、田中義夫氏(工芸)が会長になったとのことです。戸井田先生は39歳で病気早世した私の同級生敦君の母親です。 懇親会の前に作品をみせてもらいましたが、日本画、洋画、工芸、書、写真等どれもが力作で実力のある展覧会となっていました。 
05/06/28(火)  
校歌斉唱

 6月5日の春日部高校上尾伊奈地区同窓会総会の写真が送られてきました。
 この総会はいつもは上尾市で開催されていましたが、たまには伊奈町で・・・ということで町内の寿司店で開かれました。
 本会も6年間会長を務めた村田先生(高8回)が顧問に、新たに小川昭一氏(高13回)が会長に就任しました。
 また、この春の母校新入生は5人(上尾3人、伊奈2人)で、昨年の7人(上尾4人、伊奈3人)と合わせて12名が在学中との報告がありました。




05/06/21 (火)

              
議員定数16名に
                        6月議会が閉幕
 
 去る7日に始まった、17年度第2回伊奈町議会は本日終了しました。初日には正副議長の選挙や議員定数を4削減し16名とする条例改正案が可決されました。これは再来年4月の統一選挙から適用されます。また、町からは人権擁護委員候補者(小林伸子氏)の推薦に意見を求める諮問第1号や専決処分の承認議案が上程され採択されました。ほかに仮称小針北小学校の体育館本体の工事請負契約などの9議案が上程されました。

 途中議案審議の常任委員会や一般質問をはさんで、今日最終日は本会議で、各議案とも常任委員長の報告のとおり採択されました。また、仮称小針北小学校西側の
近隣公園(23,000u)の一部を変更して保留地処分(換金)する県の計画に反対する意見書を全会一致で採択しました。

                文教民生委員長に就任

 
 なお、今議会の始めには、2年毎の各常任委員会の構成替えがあり、不肖私が文民の委員長に推挙されました。就任の挨拶は 「ただいま、議会の皆様から文教民生常任委員長に選出されました青木久男でございます。もとより浅学非才の者ですが一生懸命がんばりますのでよろしくご指導のほどお願い申し上げます。」とこんな感じで平凡すぎるくらい平凡?だった。もう少し、ましなことが言えなかったかと後悔しきり(汗)・・・。

 
今回の一般質問1、公共施設の管理運営について2、既存社会資源を活用した福祉施設の推進を3、図書館運営について、そして4、テニスコートについてであります。(全文)

 







05/05/11 (水)
                 山中湖情報創造舘
  
 9日、山梨県山中湖村の情報創造舘に3会派合同研修で訪問しました。湖畔にたたずむこの情報舘は、IT時代を反映する情報発信基地としての役割をあわせ持つ村立図書館で昨年4月にオープンしました。

 名前がユニークなだけでなく、この図書館の特徴は指定管理者制度を適用した全国第一
山中湖情報創造舘
号であるということです。この制度は公的施設等の管理、運営に民間活力を導入し行政経費削減を図ろうとするものが狙いの一つで、一定の条件の下に今までの公的団体の他に、民間事業者やNPOが参入できるようになったものです。(03年9月、地方自治法244条改正施行)

 当日は指定管理者(3年契約)であるNPO法人理事長で館長の小林是綱氏からは貴重なお話を伺うことができました。

 指定管理者が本情報館で行う業務は多岐にわたるが、特徴点をいくつか説明していただいた。
 
 NPOでは寄付について制約があるため、大口寄付に迅速に対処できるよう図書購入については選定まで関与するものの、購入は村がするようにしている。(村は係長が館長補佐として担当)

 休館日はなるべく少なくし利用者の便を図る。利用できないのは、月一日の職員研修日と、年一度の資料点検に要する数日(雪の多い2月に5日間ほど)、それに、大晦日、元旦だけ。
 
 館長以外のスタッフは、副館長を始め7人による6時間交代制。一日を6,6,6,6時間に分け、睡眠、仕事、私用に18時間を当て、残りは社会参加の6時間とする小林理事長の持論を実践。公務員ではないから残りをアルバイトに費やすのも自由。
 
            不明本は指定管理者が村へ弁償
 
 本の貸出し業務の省力化が進んでおり、9割が自らコンピュータを使い借出しや返本の手続きをしている。本にはICチップが組み込まれ、未手続きで館外へ出ようとすると、警告音がなる。そのためだけではないだろうが、紛失等の不明本は極端に少ないと館長は話す。昨年の実績では6冊で全蔵書の僅か0.026%であったとのことです。(因みに全国平均は0.2%)
 そして、不明本は村にきちんと報告し、NPOから村へ全額を弁償したとのことです。こういうことも、公公でなく公と運営が別だからできることではないだろうかと話しておられました。
 
               肝心の経営効率は

 初年度の昨年は人件費1、500万円で、直営方式試算より700万円少なくすんだそうです。研修室は有料で貸出すことができ、昨年は15万円の収入があった。これは指定管理者の収入となるが、スタッフの福利厚生の充実等支出も少なくない。今年度は100万円の予算増のところ、この15万円を差引き実際は85万円増の1、585万円でやりくりするとのことです。研修室の利用増即指定管理者の収入増となるわけで、事業者から見れば努力が実を結ぶ民間の利点が大いに期待されるところです。本年4月の利用料は既に8万円あったそうです。

           多忙な館長に代わって副館長が丁寧に応対

 館長はNPO法人地域資料デジタル化研究会理事長として、また図書館運営のエキスパートとして多忙であり、大学の図書館学講師も兼ねており寺の住職でもあり、なかなか常駐というわけにはいかない。そこで、同法人副理事長でこの情報館副館長の丸山高広氏(写真)に情報館内部を詳しく案内していただき、終始丁寧に説明いただきました。ありがとうございました。                                 









05/05/03 (火)
            10ヶ月になります

 去年の7月に始めた健康ウオークが10ヶ月目に入りました。
同年2月には、それまで30数年間のたばこ生活に別れを告げたものの、代わりに体重が見る見る間に増えてしまいました。また、ここ6,7年健康診断のたびに中性脂肪の基準値オーバーが指摘され、医師からはダイエットが一番と勧められておりました。

 歩くところは見沼代用水に沿った県のヘルシーロードです。
主に夕方、1分間で100メートルちょっとの速さで歩きます。上尾市瓦葺から北上し蓮田市中閏戸の東北新幹線下までと、同所から更に南下し、さいたま市内七里の東武野田線までの2コースがあります。どちらも片道6キロメートル程でその時の気分しだいでどちらかを往復します。

             人と景色のめぐりあい

 この2時間ほどの歩きの時間は、いろいろの恩恵があります。
  歩く度に必ずといっていいくらい会う人がいます。歩き方が速くてきれいな女性もいますし、夫婦ずれも、3,4人のグループもいます。愛犬と一緒の人もたくさんいます。 また、季節のめぐり合いも、なかなかです。秋には紅葉、冬には赤城山や冠雪の日光連山が一望できます。春には、桜の木がこの用水沿に多く植えられており、満開のあと水面に落ちた無数の花びらが、流れにまかせ、さまざまな模様となってて延々と続くようすは(左下写真)、一年のほんの一瞬の出来事だけに、しばし、歩みを止めて眺め入ったりもしました。 そして今、5月になりました。 コース近辺の田には一面に水がはられ、新緑の美しい季節が私たちを迎えてくれています。(夕陽を受けながらの上の写真はカメラ付き携帯電話で歩きながら撮影しました)

 肝心の体重ですが、歩き始めに84〜5キログラムあったのが、徐々に減り、今は72〜3キログラムと確実に成果が出ております。(嬉)
 ちなみに現在のBMI(体格指数)は72.5÷1.73÷1.73=24.2で、かろうじて正常域(18.5〜25.0)です。











2005/04/13 (水)   
              下郷の春祭り


 4月10日にわが郷土恒例の春祈祷祭が行われました。この古い祭は、まず農村センターで 五穀豊穣、無病息災が神官によって祈願されます。今年はいつもの神官が90歳すぎで昨年亡くなられたため、孫の若い神官によってとりおこなわれました。
 その後、区内の各地区を天狗面をかぶった組長(自治会長)を先頭に、触れ太鼓、獅子頭の順に巡回します。とくに獅子頭の前垂れを頭にかけてもらうと、無病、長生きが祈願され、小さな子供には健やかな成長が約束されるといいます。(写真)
 区内の7地区では、当番さんによってお酒や手作り料理のもてなしを受けます。朝9時ごろセンターを出発し、午後2時半にはセンターに戻り、無事帰納しました。
 2005/03/22 (火)   
             3月議会が閉幕

 
 4日に始まった伊奈町定例議会は、今日22日に終了しました。三位一体の改革で平成16年度に地方交付税が減額され、昨年は基金の取り崩し等でなんとか急場をしのいだというのが実情でした。

 本議会には平成17年度予算が計上されましたが、昨年以上の大幅な見直しに遭遇した執行部の苦心の様子がうかがえます。

 三位一体の改革は地方にできることは地方に譲り、国は外交等、国でなければ出来ないことだけに絞り、もって地方分権を推進するという崇高な目的があり、それ自体大変結構な話ではあります。

 しかしながら、補助金削減に対しては税源委譲が不十分だし、交付税の見直しも本来の目論見とそれていたり、さらには省庁、議員などの権益争いも加わって、実際は理想と大きくかけ離れてしまっています。

         1億5,937万1千円の減   
                三位一体の改革による影響額 

 そこでまず、当町の影響についてみますと、国庫補助負担金改革で6、646万8千円が減額され、代わりに所得譲与税という形で1億1、200万円が税源委譲されるものの、三番目の交付税見直しで普通地方交付税(臨時財政対策債含む)2億490万3千円が削られるというありさまです。
 そして総額では標記のとおりとなります。
 その結果、一般会計予算に係る財源措置は、歳出総額99億4千万円に対し歳入総額94億3、418万円で今年も財源不足5億582万円は基金から繰入れということになりました。(いつまでも基金があるわけでないので平成18年度はもっと大変です)
  
                厳選された?新規事業
 
 そのようなわけで、17年度一般会計の新規事業は精彩を欠く、寂しいものとなってしまった事は残念です。 町の発表した新規事業は仮称小針北小建設事業17億5,596万6千円、道路新設改良事業(緊急市町村安全対策事業含む)1億6,920万円、石神井橋改修事業1,300万円、北保育所実施設計1,129万6千円、防犯町づくり推進事業618万2千円、コモンシティ周辺等交通安全対策事業437万9千円、仮称小針北小児童クラブ設置事業231万4千円等が主なもので、小学校建設は前年度事業の引き継ぎだし、道路新設改良も特段目新しいわけではありません。
  
            事務事業の見直しはどうだったか        
 
 
 財源不足をやりくりするのに、もっとも安易なのが、今までの事業の廃止や有料化です。為政者として心しなくてはならないのは、福祉の切捨てにならないよう最大限の努力をすることです。

 このような観点から、17年度予算での事務事業見直し項目をみますと、主なもので、調整手当・管理職手当減額1,650万円はともかく、敬老年金を見直して666万9千円の減額や交通災害共済小中学生助成全額廃止160万5千円など、お年寄りや子供にしわ寄せが来ていることが多少気になるところです。

 これら事務事業の見直し理由について、町は 1、一般財源が乏しくなっている。 2、経常収支比率が上昇している。 3、基金の取崩し無しでは予算が組めない。 4、出来るだけ基金取崩しはしない方法だと説明しています。(鈴木財政課長)

 思うに自主財源の開発や、手数料、入場料等は受益者負担の原則によるべき事は私もかねがね一貫して主張していることなので結構な事ですが、わずかな金額でお年よりの楽しみ(敬老年金)を削ったり、共済掛金を無にしたりしないで、何かほかに策はなかったのかと悔やまれはします。
               
                 採決には賛成

  17年度伊奈町一般会計予算は概略以上のとおりであります。私は、大変厳しい財政状況の中、野川町長はじめての予算編成でもありますので、一部不満は残りますが、採決に賛成いたしました。
















2005/03/20 (日)       
              父親の13回忌
 
 
 父、青木専松は、明治37年4月に当地に生まれ、家業の大工見習いののち当時の村役場へ書記として勤務。その後、仕事をしながら、都内の学校夜間部を終了し、教員になりました。
 生前、父から夜学時代の話を聞いた事があります。夕方仕事を終
えて、蓮田駅から汽車に乗り中野まで通った。大正末から昭和のはじめ頃の話です。勉学を終えてまた汽車で帰る。これが毎日の日課。蓮田駅に着くのは日付のかわる少し前の11時過ぎ。駅に降り立つのは父以外ほとんどいなかったそうです。
 卒業後、大和田小学校(新座市)や川田谷小学校(桶川市)に奉職ののち、近くの原市小学校(上尾市)には、昭和16年から昭和32年までの16年間おせわになり
晩年の父
ました。家から2キロメートルほどの学校でしたから、戦後から昭和30年頃まで、地元の人から、校庭の南側松林のそばに、小さな畑を借り、母はそこでサツマイモをよく栽培していたようにおもいます。
 私も小学校に入る前の頃、一緒に行って学校の校庭のブランコに乗って遊んだ記憶があります。ブランコは休み時間は1,2年生の専用になるらしく、わんぱくの低学年児童に追い出され、授業が始まるとまた校庭に入って体をゆらしたように覚えています。体育の授業では先生にしっかり操縦された例のわんぱくたちが、自由にブランコを使っているこちらを恨めしそうに眺めながら隊列を組み行進させられている姿なども目に浮かんできます。
 原市小学校では、勤務が長かったから、いまでも現在50歳後半から80歳あたりの人は直接担任にならなくても、父のことを鮮明に覚えてくれている人もおられます。
 父はこの小学校で戦争中のことや終戦を迎えたことなど語ってくれましたが、数年前、小学校に隣接の公民館に用があって出かけました。その際、昔懐かしく小学校へ足を伸ばし校門をくぐりましたら、かなり新しい、校歌の石碑が目に入りました。近寄ってみると作詞者として父の名が刻まれていたのをみて感激しました。作曲も同僚の音楽の先生のようで、校歌など当時は自前で安く作ってしまうのが普通だったのかもしれません。それはともかく、いまでも、卒業式などで父の作った校歌が口ずさまれていることは何か大変ありがたい気がいたします。
 今年は、そんな父が88歳で,元気ながらも3日伏せただけで亡くなってから、まる12年がたちました。それよりずっと前59歳の若さで亡くなった母、サクの法要も兼ねて、昨日19日は菩提寺の法光寺で13回忌を済ませていただきました。

上尾市立原市小学校校歌碑

 

ホームへプロフィール話題(トピックス)日常閑話(日記)議会議事録趣味(サークル)メール後援会

2002/8〜9月
2002/10〜12月
2003/1〜2月
2003/3〜4月
2003/5〜6月
2003/7〜8月

2003/9〜10月

2003/11〜12
2004/1〜2月
2004/3〜6月
2004/7〜12月


 




























...